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能登半島・和倉温泉の七尾市で被災、1月1日から書き続けた日記

  • 執筆者の写真: 岡﨑 祐仁
    岡﨑 祐仁
  • 2025年12月31日
  • 読了時間: 12分

更新日:4 日前

 源泉が白い湯気を上げていた。海水のにおいがした。かつては温泉の湧口が沖合にあったことから、石川県七尾市にある和倉温泉は「海の温泉」と呼ばれている。


 五本木ゆみ子さん(76)は、40年以上過ごした大阪から、2023年12月17日、知人が暮らす石川県七尾市に引っ越した。15日後に、能登半島地震が起きた。


 その日、すなわち2024年1月1日、五本木さんは日記をつけ始めた。「残さなあかんと思った」。友人に近況を知らせたいと考え、インターネット上のプラットフォーム「note」への投稿を始めた。後に「note」からは削除したが、五本木さんの手元には、削除前に書き写した手書きの日記が残っている。そこには、自宅の断水が解消した2024年4月2日の次の日までの93日間の五本木さんのそのときどきの行動やリアルな思いがつづられている。


和倉温泉の源泉が湧き出る「湯元の広場」=2025年3月18日、石川県七尾市和倉町、岡﨑祐仁撮影
和倉温泉の源泉が湧き出る「湯元の広場」=2025年3月18日、石川県七尾市和倉町、岡﨑祐仁撮影

 2024年1月1日、午後4時10分。五本木さんは年始の挨拶を終えて、昼寝をしていた。ゆっくりとした横揺れで目が覚めた。自宅は「ぐらん、ぐらん」と揺れた。食器棚が崩れた。立っていることが難しかった。29年前に大阪市の自宅で経験した阪神・淡路大震災の揺れとは違った。「下から突き上げられるあの怖さは知っている」


 携帯電話を持って、玄関の扉を開けた。外に出ると、「津波が来るからできるだけ高く山に登れ」と叫ぶ声が聞こえた。


 七尾市を含む石川県能登には、午後4時12分に津波警報、午後4時22分に大津波警報が発表された[1]。和倉港から直線距離でおよそ7km南東の七尾港では、午後4時37分に第一波が到達した[2]。和倉港には津波を観測する機器がなく、津波が到達したかわからない[3]


 近くにいた人の腕につかまりながら、自宅近くの山を登った。和倉温泉の宿泊者も山に登ってきた。浴衣姿で、足元はスリッパや素足の人たちもいた。30分ほどすると、旅館の車が宿泊者たちを迎えにきた。 


五本木ゆみ子さんが避難した山の中腹から七尾湾を望む=2025年3月18日、石川県七尾市、岡﨑祐仁撮影
五本木ゆみ子さんが避難した山の中腹から七尾湾を望む=2025年3月18日、石川県七尾市、岡﨑祐仁撮影

 五本木さんは、近くの寺の住職に「足手まといになりますが、私も一緒に連れて行ってほしい」と声をかけた。一緒に山を下りて、寺へ向かった。

 

 「携帯で足元を照らしてくれ階段を一歩ずつ下りました。(住職の)奥様の腕にしがみついて降りる階段は永遠に続く長い階段でした」(五本木さんの2024年1月1日の日記から抜粋、以下、日付のみを付記)

 

 住職の家族とともに寺の前で焚き火をした。そこで地区の民生委員に声をかけられ、避難所で一晩を過ごした。暖房や毛布はなかった。避難した時に山で拾った新聞紙を足に巻いて、衣装ケースに入れた。夜遅くに毛布が1枚配られた。段ボールを首に巻き、横になっている人もいた。この日の七尾市の最低気温は0度だった[4]。貴重品や毎日飲んでいた薬がないこと、家財の片付けのことを考えると眠れなかった。

 

 「今頃山の上にずっとあのままいたら凍えて死んでいたかも知れない? 雨風しのげて毛布をかぶって生きていることに感謝しよう。どれだけ多くの人に助けてもらったか? 今生きている此の命を何かの役に立てたいとの思いでnoteに現状を書いて残すことにしました。まだ苦難の始まりです」(1月1日)

 

 2日の朝、おにぎり、パン、温かい汁物が提供された。水が流れなくなったトイレは、夜のうちに掃除されていた。同日に市内の介護施設に移り、施設のロビーで生活することにした。


 4日には一度自宅に戻り、貴重品と常用薬を持ち出した。発災後、初めて水で体を流したのは5日の昼だった。七尾市内の知人の家は水が使えたので、そこでシャワーを浴びた。


 介護施設のロビーにあるテレビで、東京・明治神宮で大相撲の横綱照ノ富士が土俵入りを奉納したことを知った。相撲観戦は趣味の一つで、五本木さんは「好角家」だ。それでもこの日は、照ノ富士ではなく、地震の情報を伝えるテロップを追いかけることに必死だった。


 6日に知人の家に移り、1月23日まで過ごした。

 

 「考えれば不安しか無い。今は目の前の事だけ考えよう。もっと辛い状況の方ばかりです。今夜は雪が段々強く降ってくる。大雪になる」(1月7日)

 

 テレビや新聞で触れる、世界の紛争に思いを馳せることもあった。

 

 「ウクライナやイスラエルの戦争状況がテレビで写る度に何と愚かな事をヤッテいるのか!! 地震は自然との戦いで逃れることは難しい。でも戦争は違う。人間の愚かさが引き起こしている」(1月8日)

 

 知人の家で、五本木さんをあわせて11人で生活した。小学生はプリントに取り組み、高校生・大学生はパソコンでレポートを書いていた小学校は校舎の安全確認や断水のため休校が続いた

 

 「私が出来ることは、洗濯をたたむことと現状を配信することです。ネットが繋がらないので何度もトライして、たまに繋がる時に配信されます」(1月9日)

 

 10日の日記では、災害時に備えて避難バックを準備するように呼びかけた。

 

 「今1番したいことは、1度自宅に帰って、部屋の現状写真を撮りたい。被災者証明を提出したい。大阪の知人、友人へ!! 今直ぐに緊急時に備えて緊急避難バックを用意して下さい」(1月10日)

 

 11日には、片付けのためにおよそ1週間ぶりに自宅を訪れた。マンションの入口には亀裂が入っていた。玄関を開けると、異臭がした。冷蔵庫の食材が腐っていた。テレビや電子レンジは床に落ち、割れた食器が散らばっていた。トイレのタイルの端が削れていた。

 

 「ヘリコプターがどんどん飛んでいく。救援物資を運んでいるのだろう? どうか無事に届きます様に」(1月11日)

 

食器棚が倒れて、調理器具が散乱したキッチン=2024年1月11日、五本木ゆみ子さん提供
食器棚が倒れて、調理器具が散乱したキッチン=2024年1月11日、五本木ゆみ子さん提供

 「能登はやさしいや土までも。この言葉が身にしみます。能登の人達は我慢強く、本当に優しいです」(1月12日)


 発災から2週間が経った14日には、これまでの人生を振り返って日記にまとめた。兵庫県神戸市に生まれ、大阪、東京、淡路島と住む場所を変えながら、職を転々とした。新しいことに挑戦することが好きだった。「チャレンジし続ける人生」だった。


 46歳の時に広告代理店を起業し、学習塾の広告を手がけた。淡路島ではホテルの新設に関わった。その後は、探偵雑誌の編集、コールセンター、介護施設、マンションのコンシェルジュ、美術館の清掃などの仕事をした。その間に入退院を繰り返した。「入院のコツ」を伝えたいと思い、2004年には著書『独り暮らしの入院バッグ』を出版した。


 17日は、阪神・淡路大震災から29年。当時45歳の五本木さんは、大阪市でマンションの管理をしていた。早朝、下から突き上げられた。家族にヘルメットを渡し、管理していたマンションの部屋のガスの元栓を閉めて回った。独り暮らしの人の家を尋ね、安全を確認した。その阪神大震災発生からの歳月、それが30年目に入ろうとしていた。

 

 「この時は、私は皆さんを励ましたり、話し相手になったり、困っている事を解決する為に周りの人に寄り添って励ます側でした。今は立場が反対です」(1月17日)

 

 断水が続き、自宅に戻れないことを考えると気持ちが沈むことも多かった。天気がよい日には散歩した。

 

 「空は珍しく青くすみ渡り、畑は雪を敷き詰め、(中略)キャベツ、白菜、ブロッコリー、ネギ等色んな野菜達が地震等何も無かった様に畑でオーケストラを奏でていた。しばし、地震の事を忘れさせてくれました。家に近づくにつれ、能登半島地震の現実が迫ってくる」(1月18日)

 

 23日には、18日間過ごした知人宅から自宅に戻った。断水は解消されていなかったが、自分のベッドで寝られることが嬉しかった。発災からずっと、いつでも家を出られる服で寝ていた。

 

 「断水で水は出ません! それを忘れて何度水道の蛇口を触ったことか? 習慣になっています」(1月24日)

 

 生協の宅配サービスで、玄関まで食料や日用品を届けてもらった。関西に住む知人が飲み水を送ってくれたり、地区の民生委員が新しい下着を譲ってくれたりした。


 シャワーは1週間に一度、知人宅で浴びた。1月1日から風呂には入っていなかった。


 28日には、自宅近くの散歩コースで、山から湧水が出ているのを見つけた。容量2リットルのペットボトルに湧水を汲み、買い物カートに乗せて自宅まで運んだ。1回に運べるのは、ペットボトル3本が限界だった。

 

 「山の恵みに感謝します。山の湧水が勢い良く出ている。誰かが竹を割ってペットボトルに入れやすい様にしてくれている」(1月28日)


五本木ゆみ子さんが湧水を汲んだ場所。冷たい水が流れていた=2025年3月18日、石川県七尾市、岡﨑祐仁撮影
五本木ゆみ子さんが湧水を汲んだ場所。冷たい水が流れていた=2025年3月18日、石川県七尾市、岡﨑祐仁撮影

 2月、3月の日記でも、日々の水汲みやマンションの住人とのやりとりを綿々とつづった。

 

 「今日は同じマンションの方から、手編みの帽子を頂きました。あまりに嬉しかった」(2月2日)

 

 「朝から山へ水汲みに2回も行きました。2L×4本(今日から1本増やしました)重けれども頑張ります。発展途上国の子供達は毎日学校にも行けず水汲みに励みます。私も自分の健康の為に頑張ります」(2月4日)

 

 「シャワーを浴びて洗濯をさせてもらいました。何だかとても贅沢に感じました。窓の外では、深々と雪が降り続いています……」(2月5日)

 

 「今日も朝から水汲みに2回行って来ました。行ける時に行っておかないと、山の天気は変わりやすい」(2月8日)

 

 「本日薬を処方して頂きました。明日で薬が切れるのでホットしました」(2月9日)

 

 「私は「やりたい事は殆どやったし、何時死んでも思い残す事は無いわ〜」と思っていた。でもそれは嘘でした。それならなぜ? 地震の時、人の腕にしがみついて、山に登ったのか? それは生きたかったのである」(2月12日)

 

 「マンションの住人さんより、飲料水を2箱も頂く(感謝)」(2月13日)

 

 「和倉温泉街を見て回りました。車で通る時よりも、地震の爪痕が酷いのに言葉がありません。1日も早い復興を祈ります。(元気な温泉街になることを切に祈ります)」(2月16日)


加賀屋グループの旅館「虹と海」=2025年3⽉18⽇、石川県七尾市和倉町、岡﨑祐仁撮影
加賀屋グループの旅館「虹と海」=2025年3⽉18⽇、石川県七尾市和倉町、岡﨑祐仁撮影

  「お風呂に入る為にミカンの皮を干しています。自宅に水が出たら、ゆっくりとミカンの皮を入れて浸かりたいなぁ」(2月17日)

 

 「石川県の地図を買った。石川県の事は、これから勉強します」(2月20日)

 

 「明日、駐車するバスの中で、コーヒータイムです。誘って頂いたので行くつもりです。私は12月に引越してから、地震にあい、地域の事は何も分かりません。良い機会にしたいです。楽しみです」(2月24日)

 

 「午前中、バスの中で14人程でコーヒーを飲みながら、お菓子を食べながら、喋る! 喋る! 午後は会⻑様(⼥性)がお風呂に誘って頂きました。地震から初めてのお風呂です。天然温泉は本当に気持ちが良かったです」(2⽉25⽇)

 

 2024年2月1日、ライフラインの被害が甚大だった七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町の全住民が義援金の受給対象になった[5]。五本木さんは5万円を銀行振り込みで受け取った。

 

 「困っている時の義援金は本当に有難いです。全国の支援者様全員に心から感謝申し上げます」(2月26日)

 

 「目が覚めると雪が降りだした。雪が少し止んだので山へ水汲みに行った。2回目の水汲みで帰り道又あられが降ってきた。滑らない様に気を付けながら急いだ」(2月27日)

 

 「今日で2月は終わります。地震から2ヶ月が過ぎました。まだ断水です。明日から3月、早く水が出ます様に〜」(2月29日)

 

 「今日はお雛様だと言うのに、昨夜は大きな悩みが、おそってきました」(3月3日)

 

 「何時も水汲み場でお逢いする事がある(タンクに大量の水を汲まれる)。(中略)その方が「和倉温泉 はまづる」の専務さんでした。奥能登で作業をする業者さんたちを、いち早く受け入れ、その方達のトイレ用の水で毎日3回は水は汲みに来られている」(3月4日)

 

 「淡路島の友人から宅配便が届いていた。開けると「スープセット」が入っていた」(3月13日)

 

 五本木さんは、義援金の受け取り方を知らないマンションの住人に申請方法を教えた。

 

 「災害義援金、貰った人! 貰ってない人! その差は何か? どなた様も平等に義援金が預けます様に祈ります」(3月17日)

 

 散歩に出かける日が増えた。傷んだ和倉温泉街や七尾湾の風景を記録した。

 

加賀屋の「雪月花」。1989年築だが、解体されることが決まった=2025年3月18日、石川県七尾市和倉町、岡﨑祐仁撮影
加賀屋の「雪月花」。1989年築だが、解体されることが決まった=2025年3月18日、石川県七尾市和倉町、岡﨑祐仁撮影

 「今日も鶯の声で目が覚めた。朝から山は大荒れ、大風が山の木々を左右に揺らす。海も荒れて白波が立っている」(3月20日)

 

 「あまりにも空の青さが綺麗なので写真を撮りたくなります。いっぱい撮りました。見てくださいね」(3月22日)


 尊富士優勝おめでとうございます。110年振りの偉業達成凄いです」(3月24日)

 

 「「和倉温泉 総湯」に行ってきました。私は温泉がだ〜い好きです。本来なら、和倉温泉をぜーんぶ入り尽くしたかった!」(3月27日)

 

 1月1日に日記を書き始めた。「いつ死ぬかわからない。遺言だと思った」と五本木さんは振り返る。3月31日を区切りとするつもりだった。しかし4月2日に自宅の断水が解消し、翌日3日に「追伸」を書いた。発災から93日間続けた日記を次のように締めくくった。

 

 「昨日我が家に3ヶ月振りに水が出ました。久し振りに洗濯をしています。当たり前の生活がとっても幸せに感じます。これから又違った困難が待ち受けていることでしょう! でも私は負けません。頑張ります」(4月3日)

 

七尾湾を眺める五本木ゆみ子さん=2025年3月18日、石川県七尾市、岡﨑祐仁撮影
七尾湾を眺める五本木ゆみ子さん=2025年3月18日、石川県七尾市、岡﨑祐仁撮影

 石川県七尾市の和倉温泉は、「和倉温泉旅館協同組合」に加盟する20軒の旅館のうち9軒が2025年12月4日までに営業を再開した[6]


 和倉港では2025年6月から倒壊した護岸を撤去し、新たな護岸を設置する工事を進めている[7]12⽉24⽇には和倉温泉の旅館街に⾯した護岸の一部が報道関係者に公開された。国土交通省 北陸地方整備局 能登港湾空港復興推進室の長川大副室長は「2026年度中を目途に可能な限り早期の完成を目指す」と説明した


 国交省が主導する護岸工事が終わると、七尾市が和倉港の駐車場や温泉街の道路の復旧工事に着手する予定だ。護岸工事について、七尾市建設部土木課の石塚氏は「1日でも早く完成させたい」と話した。


[1] 気象庁「災害時地震・津波報告令和6年能登半島地震(2)津波警報等の発表状況 ア 津波警報等の発表状況」https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/saigaiji/saigaiji_2024/saigaiji_202403.pdf#page=6(アクセス日2025年12月24日)

[2] 気象庁「災害時地震・津波報告令和6年能登半島地震 表1-2-2 国内の津波の読み取り」2024年9月9日https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/saigaiji/saigaiji_2024/saigaiji_202403.pdf#page=10(アクセス日2025年12月22日)

[5] 石川県「令和6年(2024年)能登半島地震災害義援金配分委員会について」https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kousei/gienkinbussi/r6notohantoujishingienkin.html(アクセス日2025年12月23日)

[6] 和倉温泉観光協会•和倉温泉旅館協同組合「能登半島和倉温泉 わくらづくし」https://www.wakura.or.jp/brochure/brochure-3739/(アクセス日2025年12月23日)

[7] 国土交通省「和倉温泉の“新”護岸 約100mが概成!」2025年12月22日https://www.hrr.mlit.go.jp/press/2025/12/251222notokouwan.pdf(アクセス日2025年12月23日)

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