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長崎で被爆した4歳の少女は84歳に「日本人だからこそ言えることがある」
長崎七高山の一つに数えられ、古くから信仰の山として崇められる岩屋山の東側のふもとで、1945年8月9日午前11時2分、当時4歳、今は84歳の鶴文乃さんは被爆した。家の外が青く光り、障子は燃え、家の柱が落ちる。母が慌てて衣類で火を消そうとした。鶴さんは、被爆80年を前に学生記者2人に、「これが学生や若い人たちに話す最後の機会」と思いながら、自身の被爆体験や平和への願いを語った。
川端 健真、岡﨑 祐仁
8月6日


82歳の今も夢に原爆「お母ちゃん助けて」、原子力に「これが地球を救う」
広島市内の中心部で被爆したときは3歳だった。爆風でガラスが左上腕に刺さり、傷口が閉じるのに7年かかった。三菱重工業に就職して原子力を学び、原発建設のために重機を提供する仕事に携わった。飯田國彦さん(81)は、上智大学新聞学科の学生たちを前に、自身の被爆体験を語った。

岡﨑 祐仁
2024年8月2日


地元広島で目撃したG7サミット 沿道に手を振るトルドー加首相
主要国G7の首脳がそのとき集まっている平和記念公園の南端から南に100メートルほど、広島市中区中島町の「吉島通り」の歩道上にいた。一般人として首脳らに最も近づくことのできるのがその場所であろうと、広島出身の筆者が見込んだのが、そこだった。 「手振ってる!」と声が上がる。

松本 花音
2023年8月8日
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